2009年11月23日

頭の中で回っていた言葉



先日、古くからの友に約5年ぶりに逢った。
初めて自分だけのカメラを手にした頃に出会った友。いっぱいいろんな話をし、いろんなところに遊びに行き、見、いろんなものを一緒に食べた。私が日本に居た時に、いっぱいカメラを向けた相手の一人でもある。

「変わってないね。」と、お互いになんのブランクもなく、相変わらずのテンポで、話をした。”変わっていない”とは、もしかしたら、人によっては良くない印象を受けるのかもしれないが、私とその子の間では、”出会ったころから人として惹かれたあなたの部分は変わっていない。”という、とてもpositiveな言葉である。



週に1回は買うつもりがなくても、ついつい顔を出してしまう私のクローゼットのようなお店に足を運ぶ。
なぜ?って、ただ単純にそこに置いてあるものが好きだから、ということだけではなく、そこにいるおばあちゃんとその息子に逢うのが好きだから。
他愛のない話しかしない。とも、言えるが、他愛のない話をする、それが好きなので。彼ら、特におばあちゃんは、私の好きなものを知っているから、例え購入しないにしても、「これ、見て見て!すごく素敵な30年代のドレスじゃない?」とか、「これ、素晴らしいスカーフでしょ?」とか見せてくれる。そこから広がる会話は、私をほっこりさせてくれるのだ。

今回もまた、お酒を2杯飲むくらいの値段の買い物をしてしまった私。帰り道でニヤけてしまっていたのは言うまでもない。



いつも行く写真屋に、ここ最近出向いていなかったのだけれど、久しぶりにフィルムがたまったので出向いた。
「元気にしてた?最近忙しい?」と、お互いに最近の生活をちょっぴり話す。話すといっても、私の生活は彼が現像しているそのフィルムの中におさめられているので、バレバレである。
「このおじいちゃん達のバンド、いつもキミの写真に写ってるよね。いつも観に行ってるの?」といった具合。
おじさん:「明日仕事?」
私:   「うん、明日も仕事。お金稼がないとね。」
おじさん:「そうだね、仕事して稼がないとね。で、いっぱい写真撮りなよーー。」
と、店を出た。

「いっぱい写真撮りなよ。」が、私の心には、”いっぱい写真撮ってね。それで、また出しにきてね。僕も仕事になるし。何より、キミがまた店に来てくれるから。”と聞こえたのは幻聴ではないはず。



毎週金曜に行くpubがある。そこで演奏しているおじいちゃん達。
なぜかは自分でもわからないが、かれらと、沢山はうまく会話ができない。できない、のか、していない、のか・・・・。
この間、その一人が私にこう言った。
「いつも、写真撮ってるよね。何撮ってるの?いつも、一緒じゃない、僕らは。」
私は、「いつも一緒じゃないよ。毎回違う。だから撮ってるんだもん。」って。
「見てみたいなぁ、その写真。」と言われた。
もちろん、2,3mのところからカメラを毎回のように向けられているのだから、撮られていることは知っていたのだ。

”まずは僕からちょっと遠くにすわって。僕はキミを横目で見るけど、キミは何も話しちゃだめだよ。だって、言葉は誤解のもとだから。でも、日を重ねる毎に、キミはちょっとずつ僕の近くに座っていいからね。”
まるで、星の王子様で、キツネが言ったことを自然に行動していた私。

「また来週ね。それまで元気で!」
その言葉を聞く度に、1週間頑張ろう。って思えるのです。



毎日の生活の中で起こる小さな出来事や交わされる些細な一言に幸せを感じれる今日この頃。

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