2009年9月26日

Jackの回想記後半

こないだ書いたように同じ年の冬、俺は正式にBlack Lipの洗礼を受けた(といってもまだローディーとして)。
翌年の経験は、裸足で火の上をムリヤリ渡らされているような感じだった。会場入りの時間も守らず、高い機材は盗まれてすぐ壊された。
金も借りたら借りっぱなしで、悲痛な惨事ですら無視され笑い飛ばされて危ない橋だって何度も渡った。自由なんてモンは拘束され挫折にねじ曲げられた。

俺たちが得たものといえば、ちょっとしたショックでは動じなくなった事と弱そうな男を絞って、そいつらとお決まりのドタバタを演じられるようになったくらいのモンだった。でもその結果、見過ごしていたゆえの欠点や愚かさを上手く使えるようになっていったんだ。

俺たちはやがて因果的な悪循環からぬけだした。足かせがまだお互いにはめられてはいたが。

Atlantaに戻ると、俺たちは地元とNYCで予定されていたいくつかのショウの為にリハーサルを始めた。俺はすべての曲を何百回と聴いていたから、パートを覚えるのも簡単だった。
その頃俺、ギターはあってもアンプがなかったんだ。そしたら人生の座右の銘が”ショウは必ず続けなければ”であるCole Alexander(もう一人のギター)が俺にヤツの良い方のアンプをくれたんだ。代わりにアイツはスピーカーにヘッドを取り付けただけの予備の方を使ってたんだが、そのヘッドってのが特にケースの中に入ってるわけでもなかったから、回線やワイヤーがそのままむき出しだった。

これを改善するのに、Coleは空のビールケースをごみ箱から拾ってきてアンプらしきもののまわりにガムテープで固定してたんだけど、みんなからは俺らにビールのスポンサーがついてるのかと疑われていた。
客が熱狂的になると、ビールがステージにシャワーのように降ってくる事が多かったんだが、そうすると次の日にColeは必ずその”アンプらしきもの”の段ボール製ケースを取り替えなければならなかった。そんなゼリーみたいな外枠のShitで年末までヤツはアメリカ中をまわった。

俺の一番最初のショウは、アルファベット・ハウス(Atlantaにある仲間がシェアしてた家のひとつ)で開かれたJulie(今は彼、Jackの奥さんです)のバースデーパーティーだったんだけど記憶がまったくあいまいだ。俺らは曲を演奏しようと試みたが、だいたい上手くいかなかった気がする。
パーティーとバンドの区別なんて特になかったんだ。みんな俺たちの周りに群がってて、ギュウギュウで楽器を演奏するスペースすらなかった。
バースデーケーキは天井に引っ付いてて、グラスの割れる音が一晩中鳴り止まなかった。ミュージシャンとしての経験とは程遠いものがあったが、そうでなくても俺はすばらしい時を過ごした。
俺らはAtlantaでもう一つショウをし、「よっしゃ俺ら十分出来てるぜ、多分。」と誰かが言うと、本当にそのままこの見せ物ショウをツアーに移した。
しかし前回のツアーで使ったVanはもう完全にスクラップ状態で使い物にならない。途方に暮れているところ、地元の俺らの育ての親(といっても同い年)であるKristin Kleinが、彼女と友達のJaneでツアーに付いていってもいいのなら、とあいつのマジでボロいMini Vanを出してくれる事になった。

車は酷い汚れようだった。タイヤはツルツル、窓には亀裂があったし、中はゴミだらけだった。まあ、Black Lipsの成功の下にこういう状況は常につきものだ。

澄んだ冬の日、俺たちはツアーに向けて出発した。俺の運転するVanはツアーの地域が丁度被ってたCarbonasのVanの後ろを追いかけていた。
Atlantaの郊外をそろそろ通過する程度の距離で、Vanのバンパーがガタガタとミミズみたいに動き出したモンだから俺はすぐさまJoe Bradleyに報告し、まだ大丈夫かと判断した瞬間それが飛んで既にヒビの入ったフロンドガラスにブチ当たって来たんだ。みんな一斉にギャーーーーっつってマンガみたいに叫んだぜ。
俺は車をまっすぐ運転するよう必死だったが、実際曲がった鉄の棒以外何も見えなかった。
Joeがなんとかみんなをチルさせ、助手席の窓から顔を出しておれを次の出口まで誘導してくれたおかげで、寂れた修理屋までなんとか運転しそいつらに事情を託すことができた。
しばらくすると油だらけの男が出てきて保証はないけどヨ、と一応バンパーをネジで固定してくれたがショウまでの時間もなかったし、それで十分だった。

その夜のハイウェイは灰色のカキ氷みたいなモンにすっと覆われていた。
やっとマンハッタンに到着した頃、Kristinに運転を代わってもらったんだがQueensにあるAlberto(レアもの再発レーベルの権力者)のフラットに向かうのに、ヤツはWilliamsburg Bridgeを渡ろうと雪だらけの土手を駆け抜けたモンだから俺ら全員慌てふためいてKiristinに道案内をしたんだけど、みんながみんな違う方向を指示するから(アホ)、相当時間が掛かっちまった。
やっとAlbertoとSoniaの家に着くと、彼らは俺たちに食事と、食後のコーヒーに草まで用意してくれていた。
その日の午後はみんなそれぞれ休んだり、Albertoの7"コレクションをディグしたりして過ごし、夕方になるとその夜プレイするショウでどれだけくだらないパフォーマンスができるかなどを真剣に議論し、いくつかを本気で実行した。

翌日は、ニュージャージーのEast Orangeでラジオ出演。KristinとJaneはスタジオの観客席でサクラをするためそっちで待機してた。
この頃のBlack Lipsは今のファンが思うほどホットじゃなかったから、周りをガヤガヤさせておかないと演奏が下手なのだけが際立って酷くなるからっていう彼女たちの心優しい配慮だった。
ラジオのDJがキューを降ってくるのと同時に、セットを始めた俺らだったが、がんばってスタジオ内の感じを良くしようと思えば思うほどに酷くなっていった。
後で録音を聴いたら2曲程、当人ですら何をプレイしようとしてたのか見当もつかない曲があったぜ。俺ら一体何をしようとしてたんだろう。
しかし俺らがまるで原始人みたく喋れなくなってる中、JaredはキッチリPRの仕事をこなしてくれた。俺らのセットが終わると同時にラジオDJが放った感想は、「めちゃくちゃだな」の一言のみであった。めちゃくちゃな夜はこの時まだ始まったばかりだったがな。

ラジオ出演の後にAlbertoに電話すると、彼とソニアは全部聴いていてくれたらしく、最高だったと褒めちぎっていた。
彼らと待ち合わせて飲むためマンハッタンにあるバーに向かったが、Albertoの言葉がうれしくてハイになっていた俺らは途中のトンネルでVanのドアを開けて交通整理用のコーンを一つ残らず移動させたり、道中ずっと騒いで酔っぱらって笑い転げていた。
誰にも俺たちの陶酔をジャマすることはできないぜ。

最初に入ったバーではバンドが奥の方でプレイしていたが、俺らはなだれ込むようにバーに群がり、気にも留めていなかった。だけどなぜかそのバンドがJaredの気に障ったらしく、数分後ヤツはまっすぐバンドに突っ込んで行ってその中の一人をはじき飛ばしたんだ。
多分ヤツはこのバンドがヤツのアンプかなんかを盗んだって勘違いしてたんだな、セキュリティがこのモヤシっ子を駆除しようとやって来たが、Jaredはそいつに運ばれながらもジタバタ全力で歯向かっていた。

言うまでもなく、俺たちはこの険悪な現場からいち早く逃げ出さなければならなかった。俺が隣のブロックまでJaredを探しに行くとヤツは地下があるアパートメントの階段の下に隠れていやがった。俺は仲間に連絡し、またみんなで夜の街に消えて行った。

こういう夜はまた何かと起きるんだ。

次に入ったMarsバーでおれ、プラスチックだと思ってたパネル状の仕切りに面白いだろうと拳を突っ込んだんだけど、それがガラスだったモンだからバウンサーからパンチをお見舞いされると共に、拳に深い切れ込みが入ってしまった。友人たちはやがて真っ赤な雪が積もった中に埋まりかけていた俺を見つけ出してくれた。

楽しかった空気は一変して、この拳の状態で俺にギターが弾けるのかと、皆イライラしだしていた。
みんなでAlbertoの所へ戻って、破ったTシャツとガムテープで応急処置をした後、翌日の朝一番に病院へ行くよう強く進められた。夜にはまたショウがあったし、それまでに俺はなんとかしないといけなかったんだ。

翌朝Jaredが救急室まで一緒に来てくれるって言うから、ヤツと一緒に歩いて病院へ向かった。何ブロックか歩いたところで既に2時間分の列が出来ているの見え、やってらんねーってんで2人してなんとか上手いストーリーをでっちあげ、大人を騙して列をスキップする事に成功した。帰り道、おれらはバーに寄ってビールで祝杯をあげた。

その夜のショウは難なくプレイすることができた。
俺の包帯だらけの手は全く持って問題なく使えた。

地元アトランタを除いて、今までで一番人が沢山入ったショウだった。

Coleは黄金色のシャワー(注:オシッコのこと)で、新しいファンを歓迎した。

かなり気に入ってもらえたんじゃないかな。

Jack





これがその年の彼ら。若い!

0 件のコメント:

コメントを投稿